日本における甲状腺がんによる死亡の歴史的状況(東京都健康安全研究センター:甲状腺がん,推移,世代マップ,標準化死亡比,年齢調整死亡率,人口動態統計,日本,アメリカ,ドイツ,イタリア,フランス,スウェーデン,オランダ)

東京都健康安全研究センター年報,65巻,269-274 (2014)

  日本における甲状腺がんによる死亡の歴史的状況 ( sage2014.pdf : 1MB, Acrobat形式 )


 

研究要旨

 疾病動向予測システムを用いて甲状腺がんによる死亡の歴史的状況を分析するとともに今後の動向を予測した.さらに,年齢調整死亡率により日本と欧米各国との比較を行った.
 甲状腺がんによる死亡者については,1955年から現在までの情報が利用できることが判明した.1955年の甲状腺がんによる死亡者数は,男性40名,女性116名であったが,2012年には男性550名,女性1,144名と増加している.
 本システムにより,2024年における年間死亡者数は男性600人,女性1,100人ほどになり,死亡のピークは男性80歳,女性90歳ほどになると予測された.
 日本,アメリカ,ドイツ,イタリア,フランス,スウェーデン,オランダ計7か国の年齢調整死亡率をみると,アメリカでは1955年から1985年まで減少し,その後停滞し微増していた.一方,日本は他の諸国と同様に1955年から1975年頃まで多少の増減はあるものの概ね増加し,その後停滞から減少に転じていた.

 


 

はじめに

 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震を端緒として,東京電力福島第一原子力発電所で原子力事故が発生し,大気中に多量の放射性物質が排出された.原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)は2014年4月2日報告書1)を発表し「福島第1原発事故による被ばくで,がん発生率の明確な増加は予想しない」と述べる一方,「子どもの被ばくについては,理論的には将来的に甲状腺がんを発症するリスクが高まった可能性が低いながらもある」と指摘している.現時点では,放射線被ばくによる健康への影響については完全に明らかになってはおらず,過去及び現在の状況を観測することは今後のヒトへの健康影響を評価するには必要不可欠である.
 当センターでは,地域における疾病事象を把握し,衛生行政を支援するために,疾病動向予測システム(SAGE)を開発している.本論文では,このシステムを用いて分析した甲状腺がんの歴史的状況を分析した結果と諸外国との比較結果を報告する.

 

研究方法

 東京都健康安全研究センターで開発している疾病動向予測システム2-9)(SAGE:Structural Array GEnerator)を用いて,甲状腺がんによる死亡についてよる死亡について詳細な分析を加えるとともに,2027年までの死亡者数の予測を行った.さらに,年齢調整死亡率を用い,諸外国との比較を行った.

 

結果及び考察

 1. 疾病分類の変遷

 わが国では,1899年から中央集査による人口動態統計が実施されている(1944年から1946年を除く).この情報を利用することにより100年以上にわたる日本人の死亡現象を解析することが可能である.しかし,人口動態統計は年により死亡分類が変更され,時にはその分類が欠落していることもある.表1に甲状腺がんの疾病分類の変遷を示した.
 甲状腺がんが人口動態統計で集計開始されたのは1955年である.そして,国際疾病・傷害・死因統計分類(ICD)の変遷と時を同じくしてそのコードが変わり今日に至っている.なお,都道府県ごとのデータは男女別に総数のみ公表されている10)ため,平均死亡率比による都道府県比較はできない.

 表1. 疾病分類の歴史的変遷

年次    ICD    疾病コード
1955-1967 7 194 甲状腺の悪性新生物
1968-1978 8 193 甲状腺の悪性新生物
1979-1994 9 193 甲状腺の悪性新生物
1995- 10 C73 甲状腺の悪性新生物

 

 2. 年次推移

 1955年の甲状腺がんによる死亡者は,男性40名,女性116名であり,男性ではがんによる死亡者数41,223名の0.1%弱,女性ではがんよる死亡者数36,498名の0.3%強を占めていた.甲状腺がんによる死亡者数はその後徐々に増加し,2012年には男性550名,女性1,144名になっている.この間,女性の死亡者数は一貫して概ね男性の2倍となっている(図1).

 国連科学委員会が「子どもの被ばくについては,理論的には将来的に甲状腺がんを発症するリスクが高まった可能性が低いながらもある1)」と指摘しているため,図2に現在までの情報を男女別に0-14歳と15-29歳の2階級にまとめて示した.男性0-14歳では1957年の3名,男性15-29歳では1970年の5名,女性0-14歳では1958年の4名,女性15-29歳では1974年と1977年の5名が最大となっている.

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  • 図1. 甲状腺がんによる死亡者数の年次推移

  • 図2. 甲状腺がんによる15歳階級死亡者数の年次推移
  •  3. 世代マップ

     世代マップ(図3)をみると,男性の死亡数の列内ピークは1950年代には60歳代後半にあった,次第に高齢側に移動して2012年には80歳ほどになっている.

     女性の死亡数の列内ピークは1950年代には70歳ほどにあったが,次第に高齢側に移動して2012年には80歳代前半になっている.

     さらに,世代別・年齢別に整理した死亡率マップを図4に示した.同年齢で比較すると,男性では年を追うごとに死亡率(用語解説参照)が上昇傾向を示しているのに対し,女性では2000年頃がピークで,最近は減少傾向を示している.

    図3. 甲状腺がんによる死亡者の世代マップ (上段:男性,下段:女性)

    図4. 甲状腺がんの世代別・年齢別死亡率マップ (上段:男性,下段:女性)

     

     4. 年齢調整死亡率

     1955年の甲状腺がんの年齢調整死亡率(基準人口:1985年モデル人口,用語解説参照)は対10万人で,男性0.17,女性0.42であったが(図5),年を追うごとに増加し,1978年には,男性0.51,女性0.85となる.その後,男性では増加が止まり概ね0.50~0.45となり,2012年に0.45となっている.女性では,1977年に0.92とピークを示した後,減少傾向を示し,2012年には0.59となった.近年,甲状腺がんによる死亡者数は増加するものの,年齢調整死亡率は男女とも停滞から減少傾向を示している.このことから,近年の死亡数の増加は高齢化の進展によるものと考えられる.

    図5. 甲状腺がんの年齢調整死亡率(対10万人) (基準人口:1985年モデル人口)

     5. 標準化死亡比

     都道府県ごとのデータは男女別に総数のみ公表されている.そのため,平均死亡率比(用語解説参照)による都道府県比較はできない.そこで,都道府県別の男女別死亡総数を用いて標準化死亡比(用語解説参照)による比較を行った.甲状腺がんによる死亡者数が少ないため,都道府県比較を行うにあたり,死亡者数としては,2006年から2010年の合計値(図6-1)と2008年から2012年の合計値(図6-2)の2つを用いた.また,都道府県別性別年齢階級別人口として2010年の国勢調査人口を用いた.

     分析の結果,男性では北海道・宮城・福岡・富山などで,女性では北海道・青森・長崎・富山・滋賀などで標準化死亡比が総じて高いことがわかった.

     放射線被ばくの影響が懸念される福島近県の2006-2010年の標準化死亡比と2008-2012年のそれとの比較を行った.福島では男性が0.70から1.12へと増加しているのに対し女性では0.77から0.78とほとんど変化していない.茨城では男性が0.88から1.01へ,女性が0.77から0.92へといずれも微増している.宮城では男性が1.30から1.22へ微減しているのに対し,女性が0.90から0.89へとほとんど変化していない.甲状腺がんは死亡数の少ない死因のため都道府県における死亡数のわずかな変化が標準化死亡比に大きな変動を与える.標準化死亡比の解釈については十分な注意が必要であると考える.放射線被ばくの影響を評価するためにその動向を注視していく必要があろう.

    図6-1. 甲状腺がんの標準化死亡比(2006-10年合計値) (左:男性,右:女性)

    図6-2. 甲状腺がんの標準化死亡比(2008-12年合計値) (左:男性,右:女性)

     

     6. 死亡数予測

     コーホート変化率法を用い2027年における甲状腺がんによる死亡者数を予測した結果が図7である.男性では,2012年の550人から増加し,2020年頃に650人弱とピークを示し,その後減少に転じ2017年に600名程度になると予測される.女性でも同様に2012年の1,144名から増加し,2018年頃に1,190人弱とピークを示し,その後減少に転じ2027年に1,100名程度になると予測される.

     死亡の状況を詳細にみるために,図8に予測値の世代マップを示した.2027年には団塊の世代が甲状腺がん死亡の好発年齢に近づくため,男女ともこの世代の死亡数は増加すると予測される.男性では死亡のピークは80歳ほどと2012年頃と同様である一方,女性では高齢化が進み90歳ほどになると予測される.

    図7. 甲状腺がんによる死亡者数の予測

    図8. 甲状腺がんによる死亡者の予測 (上段:男性,下段:女性)

     

     7. 7か国の年齢調整死亡率

     図9に日本,アメリカ,ドイツ,イタリア,フランス,スウェーデン,オランダ計7か国の年齢調整死亡率(基準人口:1990年ヨーロッパ人口)を示した.

     日本,アメリカ,ドイツ,イタリア,フランス,スウェーデン,オランダ計7か国の年齢調整死亡率をみると,アメリカでは1955年から1985年頃まで一貫して減少し,最近は微増している.一方,他の諸国では1955年から1975年頃まで多少の増減はあるものの概ね増加し,その後停滞から減少に転じている.アメリカの年齢調整死亡率が他の諸国と異なる挙動を示している理由は不明である.

     大気圏内核実験などにより放出された大気中の放射線による被ばくは全地球的なものと考えられる.放射線による被ばくが甲状腺がんの死亡状況に影響を与えるならば,アメリカと他の6か国の年齢調整死亡率の挙動は同様になると推測される.しかし,アメリカだけがその挙動を異にする.環境放射線の健康への影響についての仮説は,この事実も十分に説明することができるものである必要があろう.

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    • 図9. 甲状腺がんの年齢調整死亡率 (基準人口:1990年ヨーロッパ人口) (左:男性,右:女性)

     

    結論

     疾病動向予測システムを用いて甲状腺がんによる死亡の歴史的状況を分析するとともに今後の動向を予測した.さらに,年齢調整死亡率により日本と欧米各国との比較を行った.

     甲状腺がんによる死亡者については,1955年から現在までの情報が利用できることが判明した.1955年の甲状腺がんによる死亡者数は,男性40名,女性116名であったが,2012年には男性550名,女性1,144名と増加している.

     本システムにより,2024年における年間死亡者数は男性600人,女性1,100人ほどになり,死亡のピークは男性80歳,女性90歳ほどになると予測された.

     日本,アメリカ,ドイツ,イタリア,フランス,スウェーデン,オランダ計7か国の年齢調整死亡率をみると,アメリカでは1955年から1985年まで減少し,その後停滞し微増していた.一方,日本は他の諸国と同様に1955年から1975年頃まで多少の増減はあるものの概ね増加し,その後停滞から減少に転じていた.年齢調整死亡率の挙動がアメリカと他の6か国と間で異なる原因は不明である.

     

    補遺 用語解説

    [死亡率]
     SAGEでの死亡率は,次のようにして計算される.
     1セル内の死亡率=1セル内の期間内死亡数÷1セル内の期首人口
     すなわち,個々のセルについて死亡数を期首人口で除したものが,死亡率となる.

    [死亡率比]
     個々のセルについて,基準となる地域の死亡率(原則として,全国または全都)を1とした場合の当該地域の死亡率の割合.当該地域の死亡率÷基準となる地域の死亡率で計算できる.基準となる地域に比して,当該地域の状況が良好であれば1未満の数値をとり,不良ならば1より大きな数値となる.

    [平均死亡率比]
     全国値で死亡数の80%以上を含む年齢域で得られる死亡率比を平均した値.基準となる地域に比して,当該地域の状況が良好であれば1未満の数値をとり,不良ならば1より大きな数値となる.

    [標準化死亡比]
     観察集団の死亡率を基準集団のそれと比較する場合に,年齢構成の違いの影響を考慮した上で基準集団(本報告の場合は日本全国)に対して何倍の死亡が観察集団で起きたかを表す指標である.
     標準化死亡比SMR=観察集団の死亡数÷(観察集団の年齢階級別人口×基準集団の年齢階級別死亡率)の総和

    [年齢調整死亡率]
     死亡率は年齢によって異なることから,死亡率の年次推移や地域間比較を行う場合などには,集団の年齢構成の違いを考慮する必要がある.年齢調整死亡率を用いることにより,年齢構成の異なる集団について,年齢構成の相違を気にすることなく,より正確に地域比較や年次比較をすることができる.
     年齢調整死亡率=(観察集団の年齢階級別死亡率×基準集団の年齢階級別人口)の総和÷基準集団の人口の総和

     

    文献

    1) 原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR):報告書:http://www.unscear.org/docs/reports/2013/13-85418_Report_2013_Annex_A.pdf(2014年7月31日現在,なお本URLは変更または抹消の可能性がある).

    2) 東京都健康安全研究センター:SAGE(疾病動向予測システム)ホームページ:https://www.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/sage/(2014年7月31日現在,なお本URLは変更または抹消の可能性がある).

    3) 池田一夫,竹内正博,鈴木重任:東京衛研年報,46, 293-299, 1995.

    4) 池田一夫,上村尚:人口学研究,30, 70-73, 1998.

    5) 池田一夫,伊藤弘一:東京衛研年報, 51, 330-334, 2000.

    6) 倉科周介,池田一夫:日医雑誌,123, 241-246, 2000.

    7) 倉科周介:病気のなくなる日-レベル0の予感-,1998, 青土社,東京.

    8) 池田一夫,杉下由行:東京健安研セ年報, 63, 287-292, 2012.

    9) 池田一夫,杉下由行:東京健安研セ年報, 64, 219-225, 2013.

    10) 政府統計の総合窓口e-Statホームページ:人口動態統計:http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020101.do? _to  GL08020101_&tstatCode=000001028897&requestSender=dsearch(2014年7月31日現在,なお本URLは変更または抹消の可能性がある).

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