人口動態統計からみた結核の100年(結核 分析 日本):人口動態統計からみた20世紀の結核対策:(東京都健康安全研究センター)

東京都健康安全研究センター年報,54巻,365-369 (2003)

  人口動態統計からみた20世紀の結核対策 ( kakkaku.pdf : 983KB, Acrobat形式 )

 


 

研究要旨

 

 日本が制圧に成功しつつある結核を例にとり,人口動態統計の死亡データを加工して疾病を年次・地域別に観測し,保健医療行政を検証した.有効な治療法が無かった1945年以前の施策を死亡面から評価すると,X線診断やBCG接種を除いて大きな効果があったとは判断できなかった.人口統計をはじめとする官庁統計の維持とデータの合理的な利用が,疾病対策も含めた社会経営という技術分野における革新には不可欠なものと考える.

 


 

研究目的

 

 社会はヒトの生活の場であり,同時にヒトの病気の場である.生活の質の向上を図り病気の抑制に成功するか否かは,一にかかってその社会の構造と機能の良否にある.そして,社会の中の病気の分布状況を数量的に記述して観測することは,疾病抑制に関する社会の性能を評価し,向上させるために不可欠な手段である.日本が制圧に成功しつつある結核を例にとり,人口動態統計の死亡データを加工して疾病の時空間分布を観測し,保健医療行政の機能を検証するために本研究を実施した.

 

研究方法

 

 東京都健康安全研究センターで開発している疾病動向予測システム 1−4) (SAGE:Structural Array GEnerator)を用いて,1899〜2000年における結核の状況について分析した.

 X軸を歴史時刻,Y軸を世代時刻とする時間平面を3年メッシュに単位化する.この上に各種の人口事象の実数を配置し,これに地図に準じた配色表現を加えたものを世代マップと呼ぶ.1899年以降の日本人男子の全結核死亡数の世代マップを作成するとともに,年次推移および都道府県別死亡率を男女別に比較することにした.

 本システムの現在のハードウエア構成は次のとおりである.

  O  S:Windows XPまたは2000

  使用言語:g77 FORTRAN(データベースシステム)

  使用言語:Visual Basic Ver.6.0(プレゼンテーションシステム).

 

研究結果および考察

1.結核による死亡率および死亡数の年次推移

 第二次世界大戦以前の結核は肺炎及び気管支炎,胃腸炎,脳血管疾患などと並んで,わが国における主要な死因であった.死因順位でみると1899-1913年は第2位,1914-34年は第3位,1935-43年は1939年を除いて,ずっと首位の座に在った.死亡率は1900年の163.7(対10万)から上昇して大正年間はほぼ200台を示したが,1918年の257.1をピークとして下降をはじめる.1932年には179.4まで低下するが,以後再度上昇に転じ1943年には235.3となっている.また,死亡数全体の構成比でみると,明治,大正を通じて,死亡原因のおおよそ10%を占めていた結核は,昭和に入るとしだいに比率をまして,第二次世界大戦中は14%にまで達した(人口動態統計による).

 この間の結核による死亡数の年次推移を男女別に図1に示した.1899年には男女それぞれ33,816名,33,783名とほぼ同数であったが,すぐに女子の死亡が男子を凌ぎ,男女とも急速な増加が始まる.1918年のスペインかぜが死亡数増加のひとつの節目で,男子64,239名,女子76,508名となった後,一旦は減少するが,昭和に入ると男子の死亡数は再び急増し,1931年に女子を追い越し,第二次世界大戦中には90,000名以上となった.女子の増加傾向はそれよりはるかに緩やかではあるが,1930年代に増加傾向は顕著になった.1943年には男女それぞれ94,623名,76,850名となった.

図1. 結核による死亡数の年次推移(1899-2000年、日本)

 

 戦後,ストレプトマイシンなどの抗生物質が治療に使われはじめ,結核による死亡者数は,1947年の男子79,640名,女子66,601名から1952年には早くも半減し,結核死亡半減記念結核対策推進大会が盛大に挙行された.その後も死亡数は着実に減少を続け2000年には,男子1,876名,女子780名となっている.

 

2.世代マップ

 かつてわが国の死因順位の首位を占めることの多かった結核は,20世紀後半には急速な減少局面に入った.この過程を男子の世代マップで見ると(図2),20世紀前半の結核による死亡者は15歳以上30歳未満の若年後期に集中していた.第二次世界大戦終結直後の1948年列のピーク位置は年齢が24歳で1924年世代である.これ以後は当時生存していた各世代における結核による死亡数はいずれの世代でも同期して急速に減少する.ただし,その減少速度は世代ごとに一律ではなく年齢の若い世代ほど減少が顕著であった.結果的に20世紀末には死亡の年齢分布は81歳にピークを持つ単峰性で,その高さは1950年のころの1/40程度となっている.また,このピークに当たる世代は1915年世代である(図1).

 さらにこれを死亡率の世代マップで見てみる.1900年頃より,青年期で1,000(対10万3年死亡率)以上の高値域が多く見られる.昭和前期(1926-43年)には,この高値域が急速に範囲を広げていくが,戦後,急速にその領域が小さくなっていく.しかし,その領域の減少は不均一で,青年期で死亡率の減少が顕著であるのに対し,中高年期においてその減少は緩やかとなっている.

 明治大正年間(1899-1925年間)の高値域は男子では21〜23歳が中心となっている.一方,女子ではそれよりわずかに下の18〜20歳が中心となっている(ここにデータは示していない).

 

 

図2. 結核の世代マップ
    上段:1899〜2000年、日本、男子、死亡数
    下段:1905〜2000年、日本、男子、死亡率(対10万人)

 

3.肺結核の道府県別死亡率

 1900年,1910年,1920年,1930年,1940年の肺結核の道府県別・男女別死亡率および死亡率比(女子/男子)のワースト3を見てみると表1,表2のとおりであった.なお,1900年の死亡率の計算には1903年の人口を使用した.

 

表1.肺結核の死亡率

 

暦 年 死亡率(対10万人死亡率)
1900年 男子:東京(319),大阪(228),京都(209)

女子:東京(307),大阪(283),京都(231)

1910年 男子:東京(272),京都(217),神奈川(206)

女子:東京(303),大阪(257),福井(254)

1920年 男子:東京(256),京都(208),神奈川(203)

女子:東京(272),大阪(253),京都(216)

1930年 男子:石川(191),大阪(187),京都(182)

女子:大阪(184),石川(184),京都(166)

1940年 男子:石川(226),京都(210),大阪(203)

女子:石川(199),北海道(192),大阪(174)

 

 

表2.肺結核の死亡率の男女比

 

暦 年 死亡率比(女子/男子)
1900年 香川(1.50),広島(1.35),福井(1.34)
1910年 富山(1.52),長野(1.45),徳島(1.45)
1920年 岐阜(1.35),大阪(1.26),福井(1.24)
1930年 福井(1.27),岐阜(1.24),群馬(1.17)
1940年 宮崎(1.04),群馬(1.03),福井(1.00)

 

4.医療行政と結核による死亡数

 戦前の医療行政と結核による死亡数について検討する.施策の概要を図1に示した.

 1899年には,わが国で初めての結核療養所である須磨療養院が開設され,その後湘南地方を中心に民間の結核療養所が建設されていった.

 1904年には,肺結核予防に関する内務省令が公布され,公共の場所における痰壷設置が義務付けられた.さらに,1919年結核予防法が公布され,1937年それが改正された.1940年国民体力法が公布され,15〜19歳男子(後に25歳未満)の体力検査,身体計測,ツベルクリン反応とX線検査が義務付けられた.1942年には,小学校(当時は国民学校)終了後に就職する児童に対してBCG接種の義務化が図られた.翌年,日本学術振興会学術部がBCGの予防効果を発表し,10〜19歳の全員に集団接種が実施された.

 有効な治療法が無い時代の対策は以上のようなものであった.施策を死亡数という面から評価すると,残念ながら大きな効果があったとは判断できない.

 戦後の結核による死亡者の大きな減少は,ストレプトマイシンに始まる一連の化学療法剤によってもたらされたことは言うまでもない.また,結核の発病予防にX線診断やBCG接種が奏功したと考えることもできよう.

 「欧米諸国では,結核対策に用いられる化学療法やワクチン等の手技の開発されるかなり前から結核が減り始めた経験から,結核は特別な対策を行わなくても,生活水準を向上させるだけで減らしうるといわれている.」 5) .生活基盤が整備されれば疾病の流行を防ぐことは相当程度に可能であり,それは疾病の種類や治療法の有無に関係なく有効な疾病対策である.このことを十分に考慮して施策を形成していくことが重要であろう.

 

5.女子の結核による死亡の地域的特徴

 一般的に結核やインフルエンザなどの感染症による死亡数は男女同程度のことが多い.結核の場合も1899年には男女それぞれ33,816名,33,783名とほぼ同数であったが,すぐに女子の死亡数が男子を凌ぎ,1930年まで一貫して女子の死亡者が多かった.1931〜1939年では,男子が多いもののほぼ同数となり,1940年以降は男子の死亡者が女子のそれをはるかに上まわっている(図1).

 道府県別の死亡率を見てみると,1900年においては男女とも東京,大阪,京都の大都市で死亡率が高かった.1910年,1920年でもその傾向は変わらないが,女子では死亡率の高い地域の近畿・中部地方における集積が目立つ.1930年,1940年には,女子死亡率のこのような集積は無くなっている(表1).

 男子の死亡率で女子のそれを除した死亡率の男女比で地域ごとの状況を比較すると,男子に比して女子の死亡率の高い地域の集積がより一層明確になる(表2,図3).

 

 

図3. 日本における肺結核の死亡率の男女比 1900-1940

 

 1900年には,香川(1.50:女子死亡率/男子死亡率;以下同様),広島(1.35),福井(1.34),富山(1.34),岐阜(1.27),奈良(1.27),大阪(1.24)などの中部・関西地方に死亡率比の高い地域が集積している.1910年にはそれがさらに顕著となり,富山(1.52),長野(1.45),徳島(1.45),岐阜(1.43),福井(1.42),香川(1.42),大阪(1.36),広島(1.32),三重(1.29),石川(1.26),兵庫(1.21),山梨(1.20)と女子の死亡率比が非常に高い地域がさらに増えている.ところが,1920年になると一転して死亡率比が1.2を超える地域は,岐阜(1.35),大阪(1.26),福井(1.24),愛媛(1.23),富山(1.23),新潟(1.21),徳島(1.21)の7府県となる.1930年には,福井(1.27),岐阜(1.24)の2県となり群馬(1.17)がそれに続く.1940年には1.2を超える地域はまったく無くなり,逆に0.7以下の地域が,千葉(0.62),茨城(0.65),滋賀(0.67),岡山(0.68)となっている.

 1913年の石原修『女工と結核』によると工場労働者80万人のうち女子は50万人,繊維工女の年齢は16-20歳が最も多く,12歳未満の工女も存在した.また病気のために解雇され帰郷後に死亡したものについて見ると,死亡者1,000人について703人と7割強が結核あるいはその疑いのあるものである 6)

 中部・関西地方で繊維産業が盛んだった点,その繊維産業の労働者は圧倒的に女子であった点,女子労働者の年齢が15-20歳だった点および結核の初期感染学説 5) (戦前の日本で青年に結核が多いのは,青年期に結核の初感染を受け,引き続き発病するものが多いためであるという学説)などを考慮すると,これらの事実の反映として日本女子の結核の特徴が生じていたと考えることができよう.

 基盤の脆弱な社会においては,飢餓と労役という災害の回避はごく一部の人々にのみ許された特権だった.だが,食糧とエネルギーの生産において人類が達成した技術革新は,この特権を集団全体が享受するものへと転換することに成功しつつある.いま,先進工業諸国では国民の長寿化が急速に進行している.これは広義の病気という災害の回避,すなわちもうひとつの特権の大衆化の結果にほかならない.疾病対策を医学医療の,あるいはその関連分野の,専権事項とする見解は今も広く流布している.だが,抗結核剤の開発以前に結核死亡が着実に減少した西欧諸国の前例に照らせば,それは明らかに根拠に乏しい先入観にすぎない.むしろ,病気に罹り難い社会を構築することこそが文明的な疾病対策である.われわれはこれを0次予防7)と呼んでいる.図4に社会経営の観測システムの概念図を示した.人口統計をはじめとする近代国家の官庁統計は,包括的な見地から社会の健康状態を観測する制度装置である.その堅実な維持とあわせてデータの合理的な利用の方策を検討してゆくことが,疾病対策も含めた社会経営という技術分野における革新には不可欠なものと考える.

 

 

図4. 社会経営の観測システム

 (本研究の概要は日本人口学会第54回大会2002年6月で発表した.)

 参考文献

1)池田一夫,上村尚:人口学研究,30,70-73, 1998.

2)SAGEホームページ:http://www.tokyo-eiken.go.jp/sage/

3)倉科周介,池田一夫:日医雑誌,123,241-246, 2000.

4)倉科周介:病気のなくなる日−レベル0の予感−,1998,青土社,東京.

5)島尾忠男:わが国の結核対策(JATAブックス),1996,財団法人結核予防会,東京.

6)福田眞人:結核という文化−病の比較文化史(中公新書),2001,中央公論新社,東京.

7)倉科周介:公衆衛生研究,41,418-422, 1992.

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