自殺の発生病理と人口構造:(東京都健康安全研究センター)

東京都健康安全研究センター年報,59巻,349-355 (2008) 

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関連論文

  日本における自殺の精密分析
   東京都立衛生研究所年報,50巻,337-344 (1999)

 


 

研究要旨

 

 疾病動向予測システムを用いて,人口構造が自殺に与える影響について分析した.日本においては,近傍世代と比較して出生数が多い1880年代世代,昭和一桁世代,団塊世代及び団塊ジュニア世代で自殺死亡率が高いことが明らかとなった.この出生数の多い世代で自殺死亡率が高くなるという傾向は,程度の差はあれフィンランドやアメリカなどの先進各国でも観測された.相対的に出生数の多い世代の自殺死亡率が近傍世代よりも高くなることから,その世代が当該国の自殺好発年齢に達した時は,自殺者数はより大幅に増加するものと予測される.したがって,今後は,人口構造を十分考慮して自殺対策を構築していくことが重要である.

 


 

はじめに

 

 我が国では1998年に自殺者が急増し,その後も高い水準で推移していることから,2006年6月に「自殺対策基本法」が制定され,同法に基づき,2007年6月8日に「自殺総合対策大綱」が閣議決定された.

 自殺と失業率などの経済指標との関連については,多くの研究が行われておりその成果が報告されている1-3).しかし,人口構造と自殺との関連についての研究は少ない.そこで,本報告では日本のみならず,フィンランドなど諸外国の人口構造と自殺との関連について論じるとともに,日本とスウェーデンなど諸外国との比較を通じ,日本における自殺の特性について考察する.

 

研究方法

 

 東京都健康安全研究センターで開発・運用している疾病動向予測システム4-8)(SAGE:Structural Array GEnerator)を用いて,自殺の死亡特性を分析した.各国の年齢階級別自殺数および人口はWHOが公表している情報を,失業率はILOが提供している情報を用いた.自殺数,自殺死亡率,人口などの情報はすべて出生世代ごとに算出し,世代マップ5,6)形式で情報を分析した.縦軸を出生世代,横軸を暦年とする時間平面の所定の位置に,対象となる事象の数量もしくはその数量の多寡に応じた色彩を配置した疑似地形図が世代マップである.この世代マップと年次推移などを共に用いて,自殺の死亡特性を分析した.

 

結果

 

 1. 日本における自殺の年次推移

 日本における自殺の年次推移を図1に示した.この図から明らかなように,20世紀の日本は,減少と増加を交互にくり返す自殺の波を過去3回経験している.最初は太平洋戦争突入直前の減少である.明治,大正,昭和初期と多少の増減をくり返しながらもほぼ単調に緩慢な増加を続けてきた自殺者の数が,1936年の男子9,766名,女子5,657名をピークに一転して減少傾向に入る.戦争たけなわの1943年には,男子5,115名,女子3,669名とピーク時の約半分となり,人口動態統計が実施されなかった空白の3年間をはさんで,1947年から急速な増加が始まり,1958年には男子13,895名,女子9,746名に達する.これが世に言う自殺の第一次ブームである.ブームが過ぎ減少の局面に入った自殺は,1967年の男子9,272名,女子5,474名を極小にまた増加に転じ,男子は1983年に16,876名のピークに達した.第二次ブームがこれである.第二次ブームでは女子の増加傾向はそれほど顕著ではない.第二次ブームが過ぎ再度減少局面に入り,1990年には男子12,316名とピーク時の75%程度にまで減少したが,それを底に増加に転じ,1998年には急増し男子22,388名,女子9,406名となった.その後,男子では自殺者がさらに増加し2003年には23,396名となり,人口動態統計が開始された1899年以来最大の自殺数になった.2006年には,男子21,419名,女子8,502名となっており,現在,自殺の第三次ブームに突入していると考えられる.

 

図1. 日本における自殺者数と自殺死亡率の年次推移

 

 2. 日本男子の生存者数及び自殺者数世代マップ

 出生状況の安定した傾向を把握し,今後の動向を予測するための第一段階として,1年1世代のデータを,歴史年3年,世代年3年の時間メッシュに展開すると,図3の世代マップ1-5)が作成できる.このマップは当然ながら,図2の1年1世代のマップと同様の傾向を示す.ピーク高が一番高かったのは,1970年代前半,ちょうど団塊の世代の女子が出生した時期である.

 図2の上段に,我が国の1905年以降の男子生存数世代マップを示した.国勢調査を用い,横軸に暦年,縦軸に出生年をとり,当該年の生存数が多ければ,地形図と同様に茶色で,中ぐらいならば緑色,さらに少なければ青色で表示した.茶色の濃い部分が団塊の世代で茶色の部分が団塊ジュニア世代である.このように,世代マップを横方向に観測すると特定の世代の変遷がみてとれる.

 図2の下段に,自殺者の世代マップを示した.このマップから自殺の第一次ブームは,主として昭和一桁世代(1926-1934年出生世代)より構成され,第二次ブームは,昭和一桁世代と団塊の世代(1947-1949年出生世代),そして第三次ブームは団塊の世代が中心となっていることが分かる.さらに,第一次世界大戦後の1920年代は,青年に加え1880年代世代の自殺も多かったことがわかる.

 

図2. 日本男子の生存数及び自殺者数世代マップ
上段:生存数の世代マップ,下段:自殺者数の世代マップ

 

 3. 日本男女の自殺者率世代マップ

 図3の上段に日本男子の自殺死亡率世代マップを,下段に女子のそれを示した.このマップも,自殺死亡率が高ければ暖色で,低ければ寒色で彩色してある.

 60歳以上のセルにおいて,現在に近づくにつれ,その色調がマゼンタから赤にそして黄色や水色へと変化している.このことから,高齢者の自殺死亡率は順調に減少傾向をたどっていることがわかる.また,他の世代と比較して,1880年代世代,昭和一桁世代,団塊の世代及び団塊ジュニア世代(1971-1974年出生世代)で自殺死亡率が高いことがわかる.

 

図3. 日本男女の自殺死亡率世代マップ
上段:男子,下段:女子

 

 4. フィンランドにおける自殺の状況

 自殺対策の成功例としてよく取り上げられるのがフィンランドである9).そこで,フィンランドの自殺の状況について概観する.

 フィンランドにおける自殺の状況を図4に示した.フィンランド男子の自殺死亡率は1990年以降大幅に減少しているが,女子はそれほど大きな変化はない.

 男子における自殺死亡率のピークは,1950年代から1970年頃までは50歳代後半にあったが,1970年代後半から漸次若年側に移動し,1980年頃には50歳前後となり,さらに若年側に移動し1990年頃には45歳前後になっている.この自殺の好発年齢域に,出生数の多い1950年前後世代がさしかかった1990年に,自殺者の増加と自殺死亡率の増加が観測されている.

 この1990年以降の自殺者数の減少は,フィンランドでの自殺対策の成果として高く評価される場合もあるが,効果判定に当たってはその内容を十分吟味する必要があろう.自殺者数の推移から見れば,男子には効果があった可能性もある.しかし,女子では自殺者数が1990年319名,2000年290名と10年間で10%弱しか減少しておらず,さほど大きな効果がなかったことは明らかである.人口の多い世代が,好発年齢にさしかかり自殺数が増え,その世代が好発年齢を過ぎたので減少したという可能性も否定できない.

 また,フィンランドにおける1980年代の経済成長率は年4%で西側諸国では最高だったが,90年代初期には,負債にあえぐ旧ソ連諸国との貿易の減少により経済は停滞した10). 1990年頃,他殺による死者が男女合計で約160名であったものが,2006年には105名と約3分の2に減少していることをみてもこの時期の社会変動がフィンランド社会に大きな影響を与えたであろうと推定される.この状況が自殺者数に影響を与えた可能性も否定できない.

 フィンランドにおいて自殺死亡率と完全失業率との間には,ほとんど相関は観測されないが,1993年から2005年に限ってみると男子で0.87,女子で0.82という大きな相関が見られている.

 

 

図4. フィンランドにおける自殺の状況(失業率情報は,「LABORSTA Internet! 」より引用)
左上:男女自殺死亡率と完全失業率,右上:男子自殺死亡率の世代マップ
左下:男子自殺者の世代マップ,右下:男子生存数の世代マップ

 

 5. アメリカにおける自殺の状況

 アメリカにおける自殺の状況を図5に示した.男子では1970年代から20歳代後半で自殺死亡率が高い状態が続いていたが最近は減少してきている.図では示さないが,女子では1970年代に自殺死亡率のピークがある.このピークは40-50代が中心であった.

 アメリカでは1940年代から1960年代生まれ,特に1946年から1964年生まれを「ベビーブーマー」と呼ぶことが多い.

 男子において,この世代がアメリカ男子の自殺好発年齢である20歳代後半に達した1970年代に,自殺死亡率の上昇がみられた.また,50歳代に達してからは,その世代に属する者の自殺死亡率の上昇がわずかながら観測されている.

 女子においては,1920年代生まれ世代がこの時代女子の自殺好発年齢である50歳前後に達した1970年前後に自殺死亡率の上昇が見られている.

 アメリカの場合,自殺死亡率と完全失業率との間には,あまり相関がなかった.

 

 

図5. アメリカにおける自殺の状況(失業率情報は,「LABORSTA Internet! 」より引用)
左上:男女自殺死亡率と完全失業率,右上:男子自殺死亡率の世代マップ
左下:男子自殺者の世代マップ,右下:男子生存数の世代マップ

 

 6. 日本における自殺者の今後の動向

 日本における男子自殺者数の世代マップを図6に示した.この図および図3の自殺死亡率世代マップから今後の動向について考察する.

 昭和一桁世代も先行世代と同様な自殺傾向をたどると仮定すると,この世代の現在の自殺死亡率は高いものの,好発年齢である50歳代後半を通過した後は,漸次減少していくと推定される.一方,団塊ジュニア世代は他の世代と比して自殺死亡率が高いため,今後も自殺死亡率の増加,ひいては自殺数の増加が懸念される.

 

 

図6. 日本における男子自殺者数の世代マップ

 

 7. 先進諸国における男女自殺の年齢調整死亡率

 1990年のヨーロッパ人口を基準人口にして,日本,アメリカ,ドイツ,イタリア,フランス,スウェーデン,オランダの男子の年齢調整死亡率の年次推移を示したのが図7の左図である.この図から,イタリアやオランダのように年齢調整死亡率が一貫して小さい国,アメリカのように一貫して中位の国,1970年以降のスウェーデンや1990年以降のドイツのように一定の時期から多少の増減を示しながらも低下している国,日本やフランスのように大きな増減を繰り返している国の4種類に分類できることがわかる.

 図7の右図で示した女子では,イタリアのように年齢調整死亡率が一貫して小さい国と,それ以外の日本(1955-;括弧内の年次は自殺の年齢調整死亡率が減少を開始した時期を表す),アメリカ(1975-),ドイツ(1990-),フランス(1985-),スウェーデン(1970-),オランダ(1985-)などの一定の時期から多少の増減を示しながら低下している国の2種類に分類できる.

 明確な自殺対策を実施していなかった我が国においても,長期的にみれば,女子の自殺の年齢調整死亡率は顕著に低下している.この低下の原因を探ることが,自殺対策の施策形成に資すると考えられる.

 ドイツとスウェーデンでは,男女ともある時期以降,自殺の年齢調整死亡率が漸次減少している.この原因解明も自殺対策立案に寄与するものと考えられる.

 我が国における女子の年齢調整死亡率の長期トレンドにおける低下という事実は,社会基盤の強化が進めば,自殺などしないで踏みこたえるだけの強さやゆとりが社会の中に生まれ,その結果として男子でも自殺死亡率が低下するという可能性があることを示唆しているのではないだろうか.

 

図7. 先進諸国男女における自殺の年齢調整死亡率(基準人口:1990年ヨーロッパ人口)
左図:男子,右図:女子

 

考察

  1. 「死の質」の転換

 先進諸国の人口の動的構造は,第二次大戦を境にして,それ以前の多産多死と短命から,以後の少産少死と長寿へと一変した.人口転換現象と呼ばれているこの経過のうち短命から長寿への転換は,これら諸国における「死の質」の変化によってもたらされたものである.死は生物学的生存限界年齢に達して起こる「正常な死」と,その年齢以前に起こる「病的な死」に大別できる.第二次世界大戦前においても緩慢なかたちで進行していた後者の制御は,戦後期における細菌感染症の効果的な制圧を契機として急激に加速された.すなわち,短命から長寿への転換は,「死の質」の転換にほかならない.

 

 2. 「病的な死」の制御

 「病的な死」とそれに先行する「死に至る病」の制御は,広義の病気の原因となる有害要因(ハザード)を制御する0次予防と,ハザードが人体と接触して進行を開始する病気の過程を制御する医学的予防とに大別できる11).そして,病気の被害の最小化には,社会という居住装置における前者の性能の向上が不可欠の前提条件である.後者の技術革新も,そうした社会でなければ真価を発揮することはできない.

 0次予防を構成する社会の機能属性を単純化して,余裕,安全,清潔,便利と考えると,この4つの機能の水準が上昇するにつれて,「病的な死」の制御効果は向上すると考えられる.この効果を0次予防の各機能の間接指標と考えれば,余裕には自殺,安全には他殺と事故,清潔には感染症や中毒など,便利にはこれら以外の主として非感染性の慢性疾患による死亡を,それぞれ指標として充てることができると考えられる.

 

 3. 社会経営の転換

 日本の「死の質」の改善は先進諸国の中でも最上位の群に属する.だが,自殺を見る限り,その0次予防の機能水準はなお満足すべきものとは言いきれない.

 自殺の持続的増加が間接的に示すのは余裕の縮小であり,換言すれば負担の増大であると考えられる.人口構造の中で基幹生産人口を中年期人口(30〜59歳人口)とし,60歳以上人口を高齢従属人口(60歳以上人口)と考えれば,1950年の0.26から徐々に上昇傾向をたどっていた前者に対する後者の比は,1995年には0.48となり,2010年には0.79に達すると推定される(図8).すなわち,1人の高齢者を4人の生産者が支えた20世紀後半初頭に対し,21世紀初頭には4人を5人で支えるかたちになる.生産者が負担の増大に,高齢者が給付の圧縮に脅え,共に人生の前途に閉塞感を抱いて憂鬱な気分に陥ったとしても不思議ではない.

 臨界点に達した余裕の縮小が社会の貧困化として顕在化する前に,「死の質」の転換がもたらした高齢期人口の健康水準の向上を追い風にするような社会経営の方策を考えていく必要があろう.

 

図8. 高齢期人口の中年期人口に対する割合の推移
(日本:60歳以上人口/30〜59歳人口)

 

まとめ

 

 疾病動向予測システムを用いて,人口構造が自殺に与える影響について分析した.日本においては,近傍世代と比較して出生数が多い1880年代世代,昭和一桁世代,団塊世代及び団塊ジュニア世代で自殺死亡率が高いことが明らかとなった.この出生数の多い世代で自殺死亡率が高くなるという傾向は,程度の差はあれフィンランドやアメリカなどの先進各国でも観測された.相対的に出生数の多い世代の自殺死亡率が近傍世代よりも高くなることから,その世代が当該国の自殺好発年齢に達した時は,自殺者数はより大幅に増加するものと予想される.したがって,今後は,人口構造を十分考慮して自殺対策を構築していくことが重要である.

 

参考文献

1 ) Hamermesh, D. S., Soss, N. M.:J. of Political Economy, 82, 83-98, 1974

2 ) Boor, M.:Psychol. Rep., 47, 1095-1101, 1980

3 ) Platt, S., Kreitman, N.: Br. Med. J., 289, 1029-1032, 1984.

4 ) 池田一夫,上村尚:人口学研究, 30, 70-73, 1998.

5 ) SAGEホームページ:https://www.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/sage/

(2008年3月31日現在,なお本URLは変更または抹消の可能性がある)

6 ) 池田一夫,竹内正博,鈴木重任:東京衛研年報, 46, 293-299, 1995.

7 ) 倉科周介,池田一夫:日医雑誌,123, 241-246, 2000.

8 ) 倉科周介:病気のなくなる日−レベル0の予感−, 1998, 青土社, 東京.

9 ) 内閣府:自殺対策白書(平成19年版), 40-41, 2007, 佐伯印刷株式会社, 東京.

10 ) MNSエンカルタ百科事典: http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761578960_8/content.html. (2008年7月17日現在,なお本URLは変更または抹消の可能性がある)

11 ) 倉科周介:公衆衛生研究, 41, 418-422, 1992.

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