我が国における世代出生数の動向(出生数 世代出生数 無児女性率 世代マップ 年次推移 家族政策):(東京都健康安全研究センター)

東京都健康安全研究センター年報,58巻,331-335 (2007)

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研究要旨

 

 我が国で現在進行中の出生数の減少は,1950年代後半の世代から開始した世代出生率の低下を直接の原因として始まり,これが出産適齢期にある女子の世代人口自体の減少とあいまって増幅されてきたものと考えられる.今後,適齢期にある当事者の願望と意思と能力を尊重しつつ,「ワーク・ライフ・バランス」をはじめとする諸政策をとおし,少子化対策を一層推進していくことが重要であろう.

 


 

はじめに

 

 我が国における年間の出生数(図1)は,1872年の569,034人から増加し,多少の増減を示しながら,1943年には戦前で最大の2,391,298人となる.1947年から1949年にかけてベビーブームが到来し,その後,減少に転じる.1958年からは増加の傾向を示し,1973年に2,091,976人と極大を示した後,再度減少に転じ,1999年以降は,概ね110万人台の出生数が続いた.2005年には1,062,530人と110万人を割り込み,2006年も1,092,674人となっている.なお,1966年は「ひのえうま」の年である.

  このように我が国における年間出生数はベビーブーム以降ほぼ一貫して減少傾向をたどっており,増加に転ずる兆しは当面皆無である.この状況が定年制や社会保障制度など,今日まで維持されてきた各種の社会システムに影響を及ぼすということで,少子化対策という名のもとにさまざまな行政施策が立案されている.しかし,それらの施策を出生率の上昇という側面から見てみると,実効はあがってはおらず,倫理的側面から,その目標設定の妥当性についても大きな問題を抱えている.

  本研究では「世代出生数」の分析をとおし,出生数減少の実態を明らかにし,今後の少子化対策の方向性について考察する.

 

研究方法

 

 我が国の1950年以降の人口動態統計出生数表について,その母の各歳年齢別・出生順位別総数のデータを,歴史年3年,世代年3年の時間メッシュに展開して,世代マップ1−5)を作成する.個々の3年世代の出生数を集計して世代出生数bgを求め,これを該当する世代の女子人口で除して世代出生率rgを算出する.この場合,1970年以前特に1945年以前は,乳幼児死亡が非常に多かったことを考慮し,世代人口は出生時ではなく15歳時点の数値pg(15)を用いる.また,有児女性の平均出産数を2と仮定すれば有児女性の世代人口はbg/2,無児女性のそれはpg(15)−bg/2となり,この世代の無児女性率はrn=1−bg/2pg(15) と定義される.この二つの数値を算出できる最初の世代は1936年世代であり,これ以降の世代について,世代出生率rgと無児女性率rnの世代推移を分析する.

 

結果

 

 1.人口動態統計出生数

 我が国の1948年以降の人口動態統計出生数表について,その母の各歳年齢別・出生順位別総数のデータを用い,年齢別にマップ化したものが図2である.横軸に暦年をとり,縦軸は目安として出生年を表示した.当該年の当該年齢での出生数が多ければ,地形図と同様に茶色で,中ぐらいならば緑色,さらに少なければ,青色で表示してある.世代出生数の推移を把握するために,図2の左側は過去最大のピークが茶色で表示されるように2万人単位で,また,右側は最新データである2004年の最大ピークが茶色で表示されるように8千人単位でそれぞれ彩色した.

  1948年の出生のピークは黄土色で表現された部分で,ちょうど25歳に出生のピークがあったことがわかる.1949年までのベビーブームの時代,25歳で出産する女子が最多であった.この25歳が出産数最多である時代が1970年代半ばまで続き,その後徐々に高齢化し,1980年に27歳,1990年に28歳,2000年に29歳,そして2004年には30歳となっている.また,2004年の30歳での出生数は100,302名と1948年のピーク180,547名の約55%になっている.

 

図1.出生数の年次推移

図2.母の各歳別,1年1世代出生数の世代マップ(1948-2004)

 

 2. 3年3世代出生数の世代マップ

 出生状況の安定した傾向を把握し,今後の動向を予測するための第一段階として,1年1世代のデータを,歴史年3年,世代年3年の時間メッシュに展開すると,図3の世代マップ1−5)が作成できる.このマップは当然ながら,図2の1年1世代のマップと同様の傾向を示す.ピーク高が一番高かったのは,1970年代前半,ちょうど団塊の世代の女子が出生した時期である.

 

図3.3年3世代出生数の世代マップ

 

 3.3年3世代出生率の世代マップ

 3年世代の出生数を該当する世代の女子の人口で割ったものを3年3世代出生率と定義する.この出生率の世代マップが図4である.この場合,1970年以前特に1945年以前は,乳幼児死亡が非常に多かったことを考慮し,世代人口は出生時ではなく15歳時点の数値を用いた.

  ピークは,1970年代前半,ちょうど団塊の世代の女子が出生した時期で,ピーク値では当該年齢の女子の63%が3年間に一度出産を経験したという計算になる.それが,2000年代になると,ピークにあたる年齢の女子の30%となり,半減している.すなわち,出生年齢が30歳台と高齢化し,かつ出産する女子の数もピーク時から半減したということが分かる.

 

図4.3年3世代出生率の世代マップ

 

 4.世代出生率の年次推移

 3年世代の出生数を世代ごとに集計し,この総和を該当する世代の女子の人口で割ったものを世代出生率と定義する.世代出生率の推移が図5である.マゼンタの部分はコーホート変化率法6)を用いて推定した予測値である.

  世代出生率は1954年世代まではほぼ安定して1.9-2.0の水準を維持していたが,それ以降は世代が進むにつれて急激な低下を示している.やや下降のスピードは鈍ってきてはいるが,1977-79年世代では1.05になると予測され,これが1.0を割り込む可能性も非常に高いと考えられる.

 

図5.世代出生率の年次推移

 

 5.無児女性率の年次推移

 ここで,仮に子供を持つ女子の平均出産数を2と仮定し,世代ごとの子供を持たない女子の割合,すなわち無児女性率を計算する.その結果が図6である.

  当初,0.1以下であった無児女性率は,1956-58年世代あたりから急速な上昇を開始し,1977-79年世代では,0.47に達する勢いである.つまり,子供を持つ女子の平均出産数を2と仮定して計算すると,近々,無児女性率が50%を超える可能性が非常に高くなっていることが分かる.最近は,結婚しても子供を持たない,また子供を1人しか持たないという家庭が増えていることを勘案すれば,無児女性率はこれほど急速には増加しないとは考えられるが,無児女性率の急速な増加には目を見張るものがある.

 

図6.無児女性率の年次推移

 

考察

 

 1.日本の出生数の年次推移について

 日本の家族政策において1955年から60年代が受胎調節普及事業の頂点であった7).種々の施策が功を奏して,「カップルの出生抑制」につながり,その結果,出生率が減少した可能性も高い.ひのえうまの年であった1966年における出生数の極端な減少から考えると,1960年代には受胎調節普及事業が十二分に成果をあげていたと考えられる.社会保障人口問題研究所の加藤久和もこの考察を示唆している8)

  この時代の受胎調節活動すなわち産児制限という施策が功を奏した結果が,今日の少子化の遠因となったとも考えられる.松谷明彦も,「(現在の)労働人口の急激な減少は,日本特有の人口構造の必然的な結果」と指摘している9)

 

 2. 社会の変容と少子化

 20世紀後半は,我が国における”死の質”の改善(=乳幼児死亡の急速な減少,結核死亡の急激な減少,死亡年齢の高齢化など)と世代出生率の低下とが急速度で同時進行した時代である.”死の質”の改善は,我が国が順調な成長過程をたどったことと,その社会の経営に用いられた各種の手段が大局的には有効に作用したことを意味すると考えられる.しかし,最近,急速に露呈して来た社会保障財源の逼迫や,男子の自殺者の増加(図7)は,従来型の手法が社会の成長に対してむしろ制約となりつつあることが本質的な問題であると考えられる.

  いま社会がすべきことは,社会とその住民がつつがなく年齢を重ねて行けるよう,とりわけ30歳前後の後期若年期(15-30歳)における生活の負担の軽減に重点を置いた,合理的で長期的な展望を持つ社会経営の方針を提示することであると考える.

 

図7.日本における自殺者数の年次推移

 

 3.少子化対策の方向性

 我が国で現在進行中の出生数の減少は,1950年代後半の世代から開始した世代出生率の低下を直接の原因として始まり,これが出産適齢期にある女子の世代人口自体の減少とあいまって増幅されてきたものと考えられる.

  適齢期の女性が出産に至るには,結婚と出産に対する願望と意志と能力が本人に存在することと,配偶者の存在も含めて,その意図を実現するための周辺状況が整うこと,この二つの条件が満たされることが不可欠である.これらの条件が整っていながらも,妊娠・分娩に関わる生理的・病理的な制約条件のために正常な出産に至らないという場合もある.

  したがって,少子化と子供を持たない女性の急速な増加に対して,社会がとるべき方策は,それに働いている真の要因を明らかにした上で,それが病的な性格のもので,かつ制御可能なものならば,その排除に向けて合理的な対策を講ずることであると考える.

  森田陽子は,「児童手当については,少子化対策という観点からは,ほとんど効果がない」と指摘し11),戸田淳仁も「家族政策の効果はほとんど観測されない」と結論づけている12).したがって,効果がはっきりしないと結論づけられている経済支援に重点を置いた家族政策を実施することに関しては,十分な注意を払う必要があろう.

 

 4.子供を持たない男女の急増

 無児女性率の急速な増加は,子供を持たない男女の急増を意味する.『2055年には,50歳代以上の者の属する世帯のうち4割以上が「単身かつ無子世帯」』10)とも推定されている.疾病や災害の際には,単身者は他の構成員の支援が期待できないため,社会による支援がより必要とされる.こうした単身者の急速な増加は,疾病や災害の際のみならず,介護や医療を始めとする多くの社会システムに多大な影響を及ぼすことが想定される.今後,急速に増大するであろう単身者を処遇するシステムについて,現時点から構想をすすめ,十分実効性のあるものにしていく必要があろう.

 

まとめ

 

 我が国で現在進行中の出生数の減少は,1950年代後半の世代から開始した世代出生率の低下を直接の原因として始まり,これが出産適齢期にある女子の世代人口自体の減少とあいまって増幅されてきたものと考えられる.世代出生率の急激な減少と,無児女性率の急速な増加は,急速な単身者の増大を意味する.これら単身者を処遇するシステムについて,現時点から構想をすすめ,十分実効性のあるものにしていく必要があろう.

  政府は本年2月,「子どもと家族を応援する日本重点戦略検討会議」(議長・塩崎恭久官房長官)を設置し,6月1日にその中間報告を公表した10).この案の中で,児童手当や育児休業給付の拡充など経済的支援が中心だった少子化対策の方向性を,「ワーク・ライフ・バランス」(仕事と生活の調和)を最重点課題と位置づけ,少子化対策を再構築するとの方針が示されている.

  今後,適齢期にある当事者の願望と意思と能力を尊重しつつ,「ワーク・ライフ・バランス」をはじめとする諸政策をとおし,少子化対策を一層推進していくことが重要であろう.

 

参考文献

1 ) 池田一夫,上村尚:人口学研究,30,70-73,1998.
2 ) SAGEホームページ:https://www.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/sage/
3 ) 池田一夫,竹内正博,鈴木重任:東京衛研年報,46,293-299,1995.
4 ) 倉科周介,池田一夫:日医雑誌,123,241-246,2000.
5 ) 倉科周介:病気のなくなる日−レベル0の予感−,1998,青土社,東京.
6 ) 金子武治,伊藤達也,廣嶋清志,他:人口推計入門,98-110,2002,古今書院,東京.
7 ) 日本人口学会編:人口大辞典,905-910,2002,培風館,東京.
8 ) 樋口美雄,財務省財務総合政策研究所編:団塊世代の定年と日本経済,2004,37,日本評論社,東京.
9 ) 松谷明彦:人口減少による経済社会の変化(ESRI 少子化問題セミナー),2004,http://www.esri.go.jp/jp/archive/shoushika/shoushi005a.pdf.
10 ) 「子どもと家族を応援する日本」重点戦略会議:「子どもと家族を応援する日本」重点戦略会議各分科会における「議論の整理」及びこれを踏まえた「重点戦略策定に向けての基本的考え方」について(中間報告),2007,http://www8.cao.go.jp/shoushi/kaigi/ouen/pdf/th.pdf.
11 ) 樋口美雄,財務省財務総合政策研究所編:少子化と日本の経済社会,2006, ,日本評論社,東京.
12 ) 戸田淳仁:出生率の実証分析−景気や家族政策との関係を中心に,2007, http://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/07030012.html

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