行政施策と肝硬変死亡(肝硬変 施策 分析 日本 人口動態):(東京都健康安全研究センター)

(平成8年度厚生科学研究:保健医療福祉地域総合調査研究事業)

 「健康及び疾病事象に係わる包括的サーベイランスのデータ基盤確立に関する研究 研究報告書」より 抜粋

  行政施策と肝硬変死亡 ( kankohen.pdf : 76KB, Acrobat Reader 3.0J形式 )

 


 

研究要旨

 

 人口動態統計を基礎としたデータベース(SAGE)を用い、行政施策の効果判定について検討した。その結果、SAGEを用いることにより疾病という面から行政施策の成果を観測できることがわかった。総合的な知識としての情報生産を可能にするデータベースを構築し、行政施策立案を科学的に支援する機能を、地方衛生研究所が高めていく必要があることが明らかとなった。

 


 

A.研究目的

 衛生行政の本来的な使命は生活環境の安全性の維持と向上にあると考えられる。

 この使命を達成するに当たり、地域における生活環境の安全性と地域住民の健康損失の状況を定式的かつ継続的に観測するシステムの構築は非常に重要な意味を持つ。当研究所では、地域における疾病事象を把握し、衛生行政を支援するために疾病動向予測システム(SAGE)を開発している1−2)

 本報告では、日本における肝硬変死亡の地域分布の経年変化を例にとり、行政施策の効果判定への適用について考察した。

 

B.研究方法

 長期的・広域的データがそろっている人口動態統計を用い、肝硬変について、都道府県別に1960年頃と現在の疾病状況を比較をすることにより、疾病と行政施策との関連について分析した。

 SAGEで、日本全国の肝硬変の死亡実数、粗死亡率、年齢調整死亡率、東京都男女の死因別死亡率比の経年変化および1959-61年・1986-88年・1989-91年・1992-94年における都道府県別の6歳階級平均死亡率比(Mean Mortality Ratio:MMR)のマップを作成し、肝硬変について経年的かつ地域的に分析した。当該年次の全死亡者数の 80%以上を含む年齢階級における死亡率比の平均として平均死亡率比を計算した。年齢調整死亡率の基準人口としては1985年モデル人口とともに、1990年ヨーロッパ人口および1990年世界人口も用いた。

 

C.研究結果

1 肝硬変死亡の年次推移

 日本の肝硬変による死亡者数の年次推移を図1に示した。男子では1950年の 3,299人から1985年の12,045人へと増加を続けた後、減少に転じ1994年には11,208人となっている。女子でも同様に、1950年の2,379人が1992年には5,538人と最高値を示し、その後減少し1994年には 5,238人になっている。

図1 日本における肝硬変死亡の年次推移

2 肝硬変の年齢調整死亡率の年次推移

 日本男子の肝硬変の年齢調整死亡率の年次推移を図2に示した。1985年モデル人口を基準人口とした年齢調整死亡率(対10万)は、1950年の15から1956年の20へと増加し、1956〜1966年に20〜21と停滞傾向を示した後増加に転じ、1974年には26と最高値を示した。以後、減少の一途をたどり1994年には15.8となっている。

 このことは東京都においても同様で、1956〜1967年に19〜21付近で停滞傾向を示した後増加に転じ、1975年には26と最高値を示し、その後減少していき、1994年には19となっている。

図2 肝硬変の年齢調整死亡率の年次推移

3 東京都の死因別平均死亡率比の年次推移

 肝硬変をはじめとするいろいろな死因について、日本全国を基準とした東京都の平均死亡率比の年次推移を図3に示した。この図から、全国に対する東京都の位置を死因別かつ経年的に知ることができる。通例、平均死亡率比が粗死亡率や標準化死亡率による死亡率比と大きく隔たることはないが、個別の世代についての死亡率比を基礎におく点に大きな違いがある。

 肝硬変においては、1956-58年の0.94から1980-82年の1.04まで概ね全国と同様だったのが、1983年以降は増加の傾向にあり、1992-1994年に 1.24となっている。

図3 各種死因の平均死亡率比の年次推移 (東京都 男女)

4 都道府県別平均死亡率比のマップ

 1959-61年・1986-88年・1989-91年・1992-94年の都道府県別6歳階級平均死亡率比のマップを図4に示した。 1959-61年と最近とを比較してみると、平均死亡率比が増加している地域と減少している地域があることがわかる。

 増加が著しい地域:東京(0.98→1.28:1959-61年のMMR→1992-94年のMMR、以下同様)、神奈川(0.95→1.20)、高知(1.01→1.22)

 減少が著しい地域:福井(1.36→0.69)、山梨(1.59→1.06)、広島(1.46→1.17)、愛媛(1.33→0.98)、佐賀(1.32→1.02)、長崎(1.70→1.19)、鹿児島(1.25→0.84)

 高値安定の地域:大阪(1.33→1.35)、兵庫(1.18→1.21)、徳島(1.66→1.20)、福岡(1.22→1.28)

 

 

図4 日本における肝硬変死亡の平均死亡率比マップ

   (1959-61、1986-88、1989-91、1992-94)

 

D.考察

1 日本における肝硬変死亡の特徴

 日本における肝硬変死亡の諸特徴については、すでにSAGEを用いた分析が行われている3)。それによると、①日本を含めた先進6か国(日本、スウェーデン、アメリカ合衆国、ドイツ、イタリア、フランス)における肝硬変の粗死亡率(対10万)は、どの国も共通して男子が女子の2倍の値を示す、②男子の粗死亡率が、前の3か国で20以下であるのに対し、後ろの3か国は20以上で、特にイタリアは40前後という高い水準にある、③日本の粗死亡率は、他の国と比較すれば決して高くない、などという結論が得られている。

 さらに、1885-1904年生まれの世代については、死亡のピークが80歳代であったのに対し、1914-31 年生まれの世代では60歳代の位置にあることも指摘されている3)

 戦後の日本人男子の肝硬変死亡の特徴をまとめると、

 ①昭和ひとけた世代での多発傾向が見られる、

 ②その後の戦後世代では死亡率の累代傾向が明らかである、

 ③肝硬変という病気の再生産は確実に抑制の方向に進んでいる3)

となる。

2 現在の地域分布の検討

 日本における肝硬変死亡は特異な分布を示すことが知られている。

 男子の肝硬変は、北日本から東日本にかけて全般に低い死亡率比となる。東京、神奈川、山梨を除いて他の県ではすべて1以下である。新潟(0.56:1992-94年のMMR、以下同様)が一番低く秋田(0.62)、山形(0.65)がこれに続く。西日本は対照的に平均死亡率比が高い県が並ぶ。大阪(1.35)を筆頭に福岡(1.28)、高知(1.22)、兵庫(1.21)の順になり、和歌山、広島、山口、徳島、長崎も1.10以上である。反面、最南端の沖縄(0.84)の死亡率比の低さも目立つ。

 肝硬変の6歳階級死亡率比の年齢分布には、男女をつうじて各県とも特別の傾向は見られない。そのため、肝硬変に地理的または世代的な中心があって、そこから恒常的な蔓延もしくは拡散が起こってきたとは考えがたいと指摘されている3)

3 地域分布の変遷

 1959-61年 の死亡率比を現在のそれと比較すると、肝硬変による死亡数が増加した中で相対的に、特定の地域で死亡率比の大幅な改善がみられている。福井(1.36→0.69)、山梨(1.59→1.06)、広島(1.46 →1.17)、愛媛(1.33→0.98)、佐賀(1.32→1.02)、長崎(1.70→1.19)、鹿児島(1.25→0.84) である。分布の変遷は何に起因するのであろうか。

4 日本住血吸虫症

 山梨、広島、佐賀には共通の因子が推定できる。日本住血吸虫症である。

 日本住血吸虫症は、感染すると1〜2週間で脾腫が現れ、1か月後には悪寒発熱を起こし、盲腸壁・大腸壁に潰瘍を作り、粘血便を出し、ついで心臓衰弱のため全身浮腫、貧血をきたし4)、最後には肝硬変で死亡するという恐ろしい病気である(ただし、肝硬変死亡は日本住血吸虫による直接的な結果というよりも、むしろ栄養障害が主因子と考えられる5))。

 1960年頃の日本住血吸虫の生息地については、「住血吸虫症のある場所として知られているのは、関東地方では利根川の下流にのぞんだ埼玉県、千葉県、茨城県の三県にわたる地域、そして中部地方では甲府盆地と静岡県の沼津近郊、それに広島県の神辺町を中心にした片山盆地、北九州の筑後川にのぞむ福岡、佐賀両県の水田地帯といったところが主な場所である。このうち、いちばん広いのが山梨県の流行地で、これにつぐのが北九州の久留米、鳥栖両市を含む地帯にある」6)、と述べられている。

 殷賑をきわめていた日本住血吸虫症を防ぐためにいろいろな行政施策が実施された。

 「日本住血吸虫は人間だけでなく他の動物にも寄生しているので、患者の糞便処理だけでは予防は不可能で、中間宿主の宮入貝の撲滅のため薬剤散布が効果的であり、また貝の生息を困難にするため溝渠のコンクリート化も行われている」7)

 「日本住血吸虫症では、その中間宿主である宮入貝の撲滅が肝要なことですので、そのため宮入貝が生息しにくい環境を作るため溝渠を作るなどしております」8)

 その結果、宮入貝の撲滅が成功した。表1は、かつての主な日本の住血吸虫症の流行地において、生きた虫卵を排泄した患者が最後に報告されたときと、中間宿主の宮入貝が最後に検出された年を示している9)

表1 日本における住血吸虫虫卵排泄患者と宮入貝棲息の現状9)

  生きた虫卵を排泄
する患者が最後に
報告された年
宮入貝が
最後に検出
された年
利根川流域 1973 1973
甲 府 盆 地 1977  
片 山 地 方 1967 1973
筑後川流域 1975 1983

 

 1977年以降日本では新しい感染者はなく、一部の地域を除いて宮入貝も棲息していないことがわかる。虫卵排泄者がなくなり15年以上、宮入貝が検出されなくなって7年以上経過したことから、1990年3月30日、筑後川流域宮入貝対策連絡協議会は筑後川流域においては住血吸虫感染症の危機はないとの安全宣言を行った9)

 山梨、広島、佐賀の肝硬変死亡の減少は、公衆衛生行政の施策の一環として実施された「溝渠のコンクリート化」による宮入貝の撲滅、および日本住血吸虫の撲滅の成果であるといえよう。

 

E.結論

 従来の疾病対策は病気の存在を前提として、医療を中心としてこれに対処しようとするものであった。しかし、ヒトのからだには健康のシステムがあり、ヒトの作る社会は安全と清潔と便利を、そしてそれらを支える豊かさを維持するシステムである。病気はこの双方の間隙に原因が乗じて発生する災害であるから、これらのシステムの効果的な維持と発展を通じての災害の発生を未然に防止するところに、疾病対策の、とりわけ地域保健の真髄はある。

 病気に対する社会機能の効果を正確にとらえるには、人口動態統計などの大数統計の手法がもっとも正統的である。肝硬変のように人口動態統計を用いて施策の効果を歴史的に判定することもできる。しかし、0次予防(医学的な手法によらず、社会の構造や機能の改善によってもたらされる病気の抑制10))に始まるいくつかの対応の局面や、病気の展開の各段階を制圧する状況を把握するための統計調査は、整備されているというには程遠い。各種統計調査を合理的に組み合わせて病気の全体像についての的確な知識の体系を作り上げ、それをもとにして病気に対する心配を着実に減らしてゆける社会の構築計画を、衆知を集めて考えるべきであると考える。

 公衆衛生情報の収集解析提供を業務とする地方衛生研究所は、総合的な知識としての情報生産を可能にするデータベースを構築し、行政施策立案を科学的に支援する機能を十二分に発揮していく必要があろう。

 

[参考文献]

1)池田一夫、竹内正博、鈴木重任:疾病構造データベース、東京衛研年報、46、293-299、1995

2)池田一夫、上村尚、竹内正博、鈴木重任:疾病動向システムによる行政支援、東京衛研年報、47、362-367、1996

3)倉科周介、池田一夫、平山雄、西岡久壽彌:肝硬変と肝癌の時空間分布、肝膵胆、29、197-214、1994

4)田中正四:公衆衛生学入門、南山堂、1956 (第2版1974)

5)高橋忠夫:臨床内科全書第5巻I、金原出版、1972

6)佐々学:風土病との闘い、岩波新書(青版)375、1960

7)公衆衛生活動ハンドブック編集委員会:公衆衛生活動ハンドブック、技報堂、1960

8)厚生省、社会保険庁:健康と福祉−厚生行政百問百答−、厚生問題研究会、1978

9)青木克己:住血吸虫症、臨床と微生物、23、173-177、1996

10)倉科周介:疾病対策の構造(1)地域保健の基盤構造、公衆衛生、58、126-131、1994

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